出会い ゾビラックス軟膏 E!チャット管理人 X-ふぁいる  V(-¥-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【8】

V(-¥-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【8】

 この〝寝返りおやぢ〟の言う事は嘘ではなく彼の亡父はその昔、平治の乱の時に義朝率いる源氏に与して戦死していたのです。
 その後平家の御世になり、雌伏の日々を送っていましたが、義経の出現を機に源氏方にカムバックしようとしたわけでした。


↓ 義経たちの姿を見て、かつて源氏に仕えていたが時勢の流れで平家に隷属した武士の中には、再び源氏に寝返る者が現れた。そういう連中を日和見だとか思ってはいけない。彼らは平家や源氏といった血統を継ぐ者ではないので、守るべき土地や家族がある以上、〝時の権力者に従う〟のは当然の事。(画像はイメージ)。
Samurai devotion
Samurai devotion / Doxi


 四国で味方を見つけた義経は、彼を道案内人として平家の本陣、屋島を目指しましたが、四国上陸からここまで、義経部隊の面々は全く休養をとっていませんでした。

 しかし義経は部隊に一刻の休憩も与えず、四国の山道を屋島に向って全力で北上させました。
 騎馬兵の持っている〝機動力〟をフルに利用して一気に敵の中枢を叩く、という戦法は一の谷の戦いと同じ発想でしたが、その〝キツさ〟は一の谷以上のものです。


↓ 義経は部下達に休息を与えず、屋島に向けて騎馬を走らせた(画像はイメージ…ってか、この画像…前にも使ったような…)
図説 合戦地図で読む源平争乱

 義経一行がこの時辿った道は、幸いな事に一の谷の時のような獣道もどきの間道ではなく、一応街道といえる道だったんですが、普通に屋島へ行くの丸二日はかかる距離でした。
 ところが義経は
「一日で踏破するぜぃ! d( ・`д・´)」
と檄を飛ばし、不眠不休で行軍したのです。

 暴風雨の夜の海を一晩中、死ぬほどの揺れにもみくちゃにされ、奇跡的に死なずに陸地にたどり着けたと思ったら、ジモッティ郷氏奇襲の戦いを命令され、その上今度は休む間もなく全力で行軍させられる…こんな命令を出す上官だと、普通嫌われる(ヘタすりゃ反逆にあって殺される)んですが、義経の場合、ただ命令するだけでなく、自らが先頭に立って〝同じ苦労〟をしています。


↓ 戦略という発想がなく、個人の武勇が全てだったこの時代、義経のムチャな命令に部下が従ったのは、彼が源氏の血筋をもつ者だったというだけではなく、先頭に立って同じ苦労をしたから。
新歴史浪漫「義経・源平争乱」 5A那須与一 単品

 それにどんな奇抜でハードな命令でも、京都の木曽義仲討伐以来、奇跡的な大勝利を演出している義経の指揮能力を将兵は信頼し、ムチャな命令にもただ懸命に(あるいはヤケクソになって)従っていったのです。

 そして義経一行はホントに丸一日で四国をほぼ縦断し、元暦(1185年)2年2月19日の早朝、屋島まで馬で30分ほどの志度ノ浜(しどのはま)に到着したわけですが、摂津で梶原おやぢと喧嘩別れしたのは17日ですから(諸説あり)、0泊3日のちょ~弾丸ツアーです。


↓ 『Google Earth』による屋島画像。四国の北部、香川県の高松市内にある。パっと見すると半島の様だが、実は相引川(あいびきがわ)という、かつて海峡だった水路が流れており、実質四国とは繋がっていないレッキとした〝島〟だったりする。もっともヂモッティが屋島をホントに島だと思っているかは不明(Wikiでは屋島は〝山〟として扱われている)。
屋島
画像参照-Google Earth-

 屋島への突撃を前にして、義経ははじめて一行に小休止を与えると共に、部隊の再編成をしました。
 総勢わずか150騎あまりの小部隊をさらに二つに分けようとしたのです。

「それはいくらなんでも…('A`)」
と弁慶辺りが苦言を呈しましたが、義経には彼なりの戦術があり、それが図に当たれば屋島の本陣を一気に落とせるはずでした。


↓ またしても記録的な強行軍で屋島付近まで辿り着いた義経たちは、ココでやっと小休止をするが、この時義経は150騎しかいなかった部隊を、さらに二つにわけて攻撃すると言い出した(画像はイメージ)。
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 一方、舞台は変わって屋島にある平家の本陣の中で、総大将の平宗盛(たいらのむねもり)ご機嫌斜めでした。
 この宗盛というおっさん、今まで名前だけは出てきましたが、あまり深くふれていません。

 一応、清盛の息子で現時点での平家一門の総帥なんですが、鎌倉軍の源範頼といい勝負な凡人で、 『平家物語』あたりでは宗盛は凡人どころか、傲慢なアフォのように言われており、この宗盛のせいで平家一門が浮き足立ってしまい、平家を滅ぼした張本人のように描かれています。


↓ 平宗盛は清盛の息子で清盛亡き後、平家の総帥になったおっさんだが、父・清盛の才能は何も受継がなかったとしか言いようのない凡人である上、完璧に公家化してしまっており、もはや〝武家〟ではない。
平宗盛_2
画像参照-クロウズ・アップ!-『ゲンクロウとゆかいな仲間たち』

 実は故・平清盛には宗盛の他にも重盛(しげもり)という、性格が温厚な上に文武に秀でた大変出来の良い息子がいたのですが、清盛の存命中に病で死んでしまいました

 重盛の急逝は清盛にとって大変ショックだったらしく、その失意が清盛の死期を早めた…かどうかはわかりませんが、やがて清盛も逝ってしまい、その時点で長男だった宗盛が半ば〝成り行き〟のような形で、平家一門の総師におさまったわけです。

 リアル宗盛が〝稀代のアフォ〟〝善良で平凡なおっさん〟かどうかはわかりませんが、どちらにしても総大将にするには問題があるほどの
〝ヘタレおやぢ ┐('~`;)┌〟
であった事は事実のようです。


↓ 故・清盛の自慢の息子だった平重盛。文武両道に優れた人物で清盛の後継者として期待されていたが、源氏が再び勃興する以前に病死している。
平重盛
画像参照-Wikipedia-『平重盛』

 そんな宗盛が不機嫌だった理由は、諜報により〝あの〟義経が平家討伐の司令官に復帰し、
〝四国へ向けて出立したらしい (-_-;)〟
という情報が得られたからでした。
=続く=

【このネタを初めから読む】

↓ 次回予告動画(大嘘)。 いよいよ『屋島の戦い』開戦!


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