出会い ゾビラックス軟膏 E!チャット管理人 X-ふぁいる  V(-\-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【3】

V(-\-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【3】

 頼朝は自分の命令に背いて官位を受けてしまった義経の暴挙に激怒し、義経は
〝平家討伐軍総大将を罷免 Σ(゜ロ゜;)〟
されてしまった…というトコロまでが、前回「GENJI!! Ⅲ」でした。


↓ 義経は勝手に官位をうけた懲罰として平家討伐隊の総大将を罷免されたが、義経本人はそこまで〝ヤバイ事〟をしたという自覚はなかった(画像が使いまわしなのは内緒だ)。
厚顔無恥なオリジナル画像032

 堕落しきった朝廷の貴族政治から脱却して、新しい政治システムを目指す頼朝の怒りは、旧体制の枠内で生きていく事に何の疑問も持っていない義経には理解出来ません。

 ですから一の谷合戦の戦功を何一つ認めてもらえなかった上に、平家討伐隊から外されるという仕打ちは、
「全て梶原のおやぢが、兄上に嘘八百を吹き込んでいるからに違いない (-_-;)」
と思っていました。


↓ 義経の天敵・梶原景時。義経は頼朝に対して激怒している原因は、このおやぢが頼朝にキチンとした報告をせず、讒言をしているからだと思っていたらしい。
梶原景時
画像参照-Wikipedia-『梶原景時』

 一方、ふて腐れた義経が後白河法皇にヨイショされて、朝廷側に取り込まれてしまうという事態は避けたい頼朝は、この時期、
〝義経に嫁を与える ( ´∀`)ノ〟
という事もしています。
 いわゆる〝アメとムチ〟なのですが、この場合完全な〝アメ〟とも言い難い話でした。

 というのも頼朝が与えた義経の嫁というのは、武蔵の国(今の埼玉県辺り)をテリトリーにしている河越氏の頭首だった河越重頼(かわごえ しげより)の娘で、名前はハッキリ判っていません

 まぁ、ドラマなどでは郷(さと)御前とか良子とか、適当にネーミングされていますが、この頃女性の名前というのは余程身分の高い人でないと、ただ単に
〝○○の娘・・・_φ(・・ )b〟
としか書かれていないのです。


↓ この時期、頼朝は義経に嫁を持たせた。頼朝の乳母であり、島流し時代頼朝を支えた比企の尼(ひきのあま)の孫娘で、ジモッティ豪族・河越氏の娘でもある女性だが名前は不明(画像はイメージ)。
Kureha Kimono
Kureha Kimono / kodomut


 一応そこそこの血筋をもったヂモッティ豪族の娘には違いないのですが、河越氏は基本的に源氏から見れば〝家来筋〟であり、それを考えると、いくら義経が〝鎌倉殿(頼朝)の弟〟だとしても、鎌倉体制の上では、
〝単なる一家臣に過ぎない ( ̄^ ̄)〟
という事を思い知らされる縁談だったともいえます。

 もっとも、そんな家来筋の嫁を押し付けられたからと言って、義経が益々機嫌を損ねたという記録はありませんし、嫁いだ河越氏の娘も義経の正妻として、義経が落ちぶれた後も寄り添っていました。


↓ 義経の女性といえば〝静御前〟がメジャーだが、義経の正妻だった通称〝郷御前〟も義経と最期まで行動を共にしていた(逃避行中に病死)。
義経と郷姫―悲恋柚香菊 河越御前物語

 さて、義経が平家討伐隊の総大将を外されたとはいえ、平家との戦いが終わったわけではありません。
 源氏は平家の京都奪還を未然に防いだだけで、放っておけば再び平家は体勢を立て直して逆襲してくるでしょう。

 戦いの決着をつけるには、平家の総大将である平宗盛(たいらのむねもり)を倒して(or 降伏させる)、平家方が持っている三種の神器を取り返さなくてはなりません。


↓ 清盛亡き後、平家の頭首として平家軍の総大将になっている宗盛の肖像画。清盛の血を引いてるとは思えない凡人だったらしい。
平宗盛
画像参照-Wikipedia-『平宗盛』

 頼朝は、瀬戸内海を中心に中国・四国・九州に依然として強力な勢力を保つ平家を討伐するべく、再び頼朝の弟の範頼を総大将にして、第二次平家討伐隊を編成し出陣させました。

 鎌倉側の作戦としては、水軍が主力である平家本隊との直接対決は当面避けて、本州の山陽道沿いの平家勢力を制圧しつつ九州へ向うという作戦で、まずは平家支援勢力の各地ヂモッティ豪族たちを潰していく事にしました。


↓ 頼朝は平家との決着をつけるべく、第二次平家討伐隊を出陣させた。源平合戦は、まだ中盤といってもいい段階で、この時点では平家が勢いを取り戻す可能性は大いにあった(画像はイメージ)。
源平争乱~将軍への道~

 範頼隊は頼朝に盛大な壮行会を催して貰った後、京都に立ち寄って朝廷から正式な平家討伐の院宣を受け取り、勇んで山陽道を西へ向いましたが、安芸(あき:今の広島辺り)まで行軍する頃には、全軍の士気はガタガタになっていたのです。

 原因はまたしても西日本一帯を襲っていた飢饉でした(『GENJI!!Ⅱ』参照)。
 まぁ飢饉そのものは、すでに底を打っていて回復傾向にあったのですが、まだまだ各地の食料の備蓄は少なめで、数万単位の軍勢が駐屯すれば兵糧はたちどころになくなってしまいます。


↓ 西日本を襲っていた大飢饉は収束を迎えつつあったが、まだ十分に回復しておらず、源氏の平家討伐隊は深刻な兵糧不足に悩まされた(画像はイメージ)。
CHR_0518
CHR_0518 / IRRI Images


 かつて平家が鎌倉を討伐しようと出陣したものの、兵糧の少なさが原因で富士川の畔で自滅してしまったパターンが、今度は源氏側に降りかかってきたわけです。

 いくら総大将の範頼が凡庸だったといっても、
「それくらい予想しろよ…(-_-;)」
と思う方もいるといるかもしれませんが、そういう期待をするのは、ちょっと酷かもしれません。
 それというのも、当時の軍隊には〝補給という発想〟自体がまだなかったのです。
=続く=

【このネタを初めから読む】

↓ 前線に生活物資を補給する兵站部隊。兵站(へいたん)というのは、軍隊が作戦行動を行う為に必要な物資を供給したりする支援活動の事だが、源平合戦開始の当時は合戦と言えば〝戦うこと〟であり、長距離行軍を維持する兵站の発想はなかった。
110425-M-PE262-002
110425-M-PE262-002 / isafmedia


E!チャに帰る
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

項羽と劉邦みたら補給大事なのににゃ。
源平の時代には、中国の歴史アニメなかったんだにゃ。
にゃぁにゃぁ。

Re: No title

みゃお様

 中国は日本と違って、国土が笑っちゃうくらい広いですから、
兵站の発想はすぐ生まれたと思います。

 中国で生み出された戦術や戦法に関する書物は、
一応平安の頃には日本に入ってきていたとされていますが、
日本の武将達が参考にしたのは陣形くらいだったそうで、
それも鎌倉期の武将達は、ほとんど知らなかったとも言われています。

(・∀・)ランキング(・∀・)
真面目にランキング参加中です。よろしければポチッと押していただけるとV(-¥-)Vが喜びます。
V(-¥-)Vの本














プロフィール

V(-¥-)V

Author:V(-¥-)V
廃れチャットサイト『E!チャット』の管理人です。

カテゴリ
3D球体タグクラウド
もくじから探すなんて面倒くせぇという人のために… (・∀・)
V(-¥-)V’s アルバム
あわせて読みたい
あわせて読みたい

最近読まれた記事
FC2カウンター
検索フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

gremz
リンク
(・∀・) 自動リンク (・∀・)
最新トラックバック
最新コメント
feedmeter
フィードメーター - E!チャット管理人 X-ふぁいる
RSSリンクの表示