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V(-¥-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【完結篇】

 まさか義経が潮の流れを観察する為に攻めなかったとは平家も予想できず、今日はたまたま平家も動かなかったものの、このにらみ合いをいつまでも続ける気は、知盛率いる平家にないでしょうから一夜明ければ、必ず自軍に有利な時間帯に攻め込んでくる事でしょう。

↓ 源氏水軍が到着した翌日、源平の艦隊戦がいよいよ開始…と思われたが、結局義経は潮流を研究する為にそのまま港に留まり、一日が過ぎた(画像はイメージ)。
Kurushima-Kaikyo Bridge
Kurushima-Kaikyo Bridge / Hyougushi


 〝アウェー〟な義経としては、そんな不利な状態に耐えて、自軍に有利な潮目に変わるまで平家の攻撃を凌ぎきれば、正攻法で平家を叩き潰すチャンスが生まれるのです。

 ただ、6時間に及ぶ劣勢をどう耐えるかというのは、なかなか難しい問題でした。
 何度も書いていますが、日本の合戦は個人技が主流で〝集団で作戦を遂行する〟という発想がありません。
 ですから兵士は〝押している〟状況であれば勢いに乗って強いのですが、劣勢になるとヘタレになってしまいます


↓ 本文で何度も紹介した通り、当時の合戦は個人戦であり、戦っている兵士たちに戦術という発想はないので、優勢な時は勇ましいが、敵の勢いが増すと逃亡したりする兵士も珍しくなく、何時間も劣勢を耐えるなんてマネが出来るかどうかというのが問題だった(画像はイメージ)。
Detail from Meiji Porcelain Plaque or Painting of Gilded Samurai Warriors in Battle... probably the Battle of Ishibashiyama in 1180.
Detail from Meiji Porcelain Plaque or Painting of Gilded Samurai Warriors in Battle... probably the Battle of Ishibashiyama in 1180. / Time Portal


 義経は、劣勢の中でも敵を混乱させ、少しでも自軍のモチベーションを保てる戦法をあれこれ考え、
「敵の船を操る水夫を弓で狙う・・・っていうのはどう? (゜σ゜)」
というアイディアを出しますが、
「そりゃ、反則だぜ! ( ̄□ ̄;)」
と水軍を持つヂモッティ豪族たちから非難をあびました。

 海戦で戦船を操る水夫や船頭は、基本的に戦の時だけ臨時に召集される非戦闘員(普段は漁師などをしている)で、
〝攻撃対象にしてはいけない ( ̄^ ̄)b〟
という暗黙のルールが古くからあるのです。

 まぁ、戦場ですから、流れ矢などに当たっちゃうとかいう〝事故〟の場合は仕方ないんですが、意図的に狙われる、なんて事があると水夫たちはビビって、誰も戦船の水夫や船頭なんか引き受けてくれなくなってしまいますので、
『水軍の戦で、水夫を狙うのはご法度 d( ・`д・´)』
という暗黙のルールが決まっていたのでした。


↓ 戦舟を操船する水夫達は武士ではなく、普段は地元で漁をしている漁師で戦闘員ではない。したがって戦闘の歳に水夫を狙うのは〝反則行為〟だという暗黙のルールがあった(画像はイメージ)。
Japanese Fishermen
Japanese Fishermen / born1945


 しかし他にアイディアは見つからず、結局義経はひんしゅくは承知の上で、海戦に参加する鎌倉武士たちに水夫を狙う戦法を指令します。

 ただ、そうした〝暗黙のルールを破る〟という行為は、戦を個人の名を上げる場として考え〝美学〟を重んじる武士たちにとっては〝卑劣な戦法〟であり、命令に従わない可能性がありました。


↓ 〝命は惜しまず、名こそ惜しむ〟武士にとって、卑怯な戦法を進んで行う事はプライドが許さない。
Statue of Kusunoki Masashige Closeup
Statue of Kusunoki Masashige Closeup / krysamon


 そこで義経はこの命令を、伝令役にうってつけの人物
〝涼やかな大嘘つき・伊勢三郎 (´∀`)〟
に任せたのです。

 三郎は義経の期待に応え、鎌倉武士たちを前に、
「海戦が始まったら、すかさず敵の船を操る水夫や船頭を弓矢で狙いましょう( ´∀`)b
 そうすれば敵は混乱して有利に戦を進められます。
 これは〝船戦の常識〟です!d( ・`д・´)」

と言い切りました。

 海戦というものを全く体験したことのない鎌倉武士たちは、いかにも〝これぞ必勝法!〟と得意げに話す三郎の言う事を、すっかり信じ込んでしまったのです。


↓ NHKドラマ『武蔵坊弁慶』で伊勢三郎を演じたジョニー大倉。〝爽やかな大嘘つき〟のイメージにはピッタリだったと思う。
JOHNNY COOL
↓ そんなジョニー大倉が出ている『武蔵坊弁慶』のDVD
武蔵坊弁慶 総集編 [DVD]

 なんだかいい加減な盛り上がりを見せつつ、関門海峡の夜は更けていきましたが、いよいよ決戦を明日に控えて義経をはじめ皆の心の中には
(明日の決戦で全てが終わる・・・( ̄- ̄ ) )
という予感と覚悟がありました。
 長かった大遠征も、この一戦にさえ勝利すれば、平家に止めを刺して終わるのです…


↓ 義経は「この決戦が最後になる…」と決意を固めた。
義経英雄伝


 ・・・と、これからが源平合戦のファイナルステージ
〝壇ノ浦の合戦 (・∀・)〟
なんですがコレを今回やってしまうと、またしても大幅に記事の回数が増えてしまいますので、続きは次回『GENJI!Ⅴ』で能書きを垂れたいと思います。
 でわ、今回はこの辺で…
=完(「Ⅴ」へ続く)=

【このネタを初めから読む】

↓ 次回「GENJI!!Ⅴ」の予告編動画(大嘘)。壇ノ浦合戦の決着で源平の戦いは終わる。


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V(-¥-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【15】

 この時期、九州一帯のヂモッティ豪族は平家が擁している安徳天皇を認めず、敵対と言うほどでもありませんが、平家にとっては非協力的な連中でしたので、今回の壇ノ浦決戦で敗れる事になれば、もはや平家は日本中どこにも行く所はなく、滅びざるをえません

↓ 当時九州のヂモッティ豪族の多くは、平家の擁する安徳天皇の正当性に疑問を持っており、京都の朝廷よりの立場を取っていた。もし関門海峡で源氏との最終決戦に敗れれば、もはや平家に身を寄せる場所はなくなる・・・(画像はイメージ)
平家物語(下)―マンガ日本の古典 (12) 中公文庫

 知盛は潮流を利用して早期決戦という基本戦略は変わりませんが、さらに義経をおびき寄せる為の罠を仕掛ける事にしました。

 それは、安徳天皇の乗船している〝御座船(ござぶね)〟をおとりに使うという事で、安徳天皇には別の船に移って頂き、御座船には伏兵を潜ませて比較的目立つ場所に配置します。

 義経は大将のくせに、戦場では常に先陣を切って進んでくることは有名で、その上今回の一連のミッションでは平家追討と並ぶ重要な使命には
〝三種の神器の奪還 ヽ(`へ´)ノ〟
というものがあるので、おとりとして御座船を見せつければ、義経は必ず我先にと乗り込んで来るだろうと思われ、そこに罠を張るわけです。


↓ 今回鎌倉軍が京都の朝廷から下されたミッションは、平家追討と天皇の正統な証である「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」(画像:左)と「八咫鏡(やたのかがみ)」(画像:右)そして「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」(画像:下段)の〝三種神器〟の奪還だった。

新歴史浪漫 義経源平争乱 平清盛 3B 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)付 3 富士川の戦い 1180 フルタ新歴史浪漫 義経源平争乱 源頼朝 2A 八咫鏡(やたのかがみ)付 2 石橋山の戦い 1180 フルタ
新歴史浪漫 義経源平争乱 源頼朝 2C 草薙剣(くさなぎのつるぎ)付 2 石橋山の戦い 1180 フルタ


 やがて瀬戸内の彼方から白旗を翻した源氏艦隊が現れ、知盛率いる平家艦隊から肉眼で見える距離に迫り、いよいよ源平最後の合戦の火蓋が切って落とされ・・・るかと思ったら、源氏艦隊は突撃を開始せず、一旦関門海峡の本州側にある櫛崎という小さな港に入りました

 義経がすぐさま戦闘に突入しなかったのは、艦隊が関門海峡に辿り着いた頃は、もう夕刻で(実は関門海峡への到着は翌日の予定だったが、風向きがよかったために相当早くたどり着いてしまった)、ただでさえ不慣れな海戦がもつれ込んで夜戦になるのを嫌った事と、来島海峡を遥かに越える潮流の大きさと強さに、ビックラこいてしまったからでした。


↓ 風向きが良過ぎたせいで中途半端な時間に関門海峡へ辿り着いた義経たちは、とりあえず海峡付近の小さな港へ入った(画像はイメージ)。
Under cover of night
Under cover of night / Artiom Ponkratenko


 義経たちが停泊していた櫛崎はホントに小さな港で、全ての源氏艦隊が港内に入りきらず、付近の岸辺にまで船があふれてしまいましたが、一晩中かがり火を焚きながら平家の夜襲に対する警戒をして一夜を過ごします(前述したように〝艦隊同士の戦い〟では夜襲がないのは世界的常識だが、停泊中の敵船に陸から乗り込んで夜襲をかけるのは〝艦隊戦〟ではないので、有り得る話)。

↓ 洋の東西を問わず世界的に〝艦隊戦の夜襲はない〟というのは前述したが、その反面〝港に停泊している艦隊に陸から夜襲を掛ける〟という戦術は昔から世界中で行われてきた(画像はイメージ)。
viking 2
viking 2 / chatirygirl


 平家にとって潮流を有利に利用できる時間帯は朝から昼にかけてなので、知盛は強いて夜襲などはせず
「明日こそ決戦! ヾ(`へ´)ノ」
と心に決めて、さっさと寝てしまったのですが、夜が明けても源氏艦隊は動く気配はありませんでした

 この時刻、平家側から仕掛けたとしても、義経たちが集結している櫛崎港は壇ノ浦を流れる潮流の外にあり、その恩恵を受けられない状態で、数の上で平家を上回る源氏艦隊に攻め込んでいくのは賢いやり方ではありません
 知盛は動かない源氏艦隊を眺め
「何してんだよ! ( ̄Д ̄)」
と、速攻が持ち味の義経が、慎重に動こうとしない事にイライラしています。


↓ 翌日、夜が明けても義経たち源氏水軍は動かず、壇ノ浦には現れなかった・・・(画像は現在の関門海峡。当時はもちろん関門橋なんぞないし、〝大砲〟も日本に伝わっていないどころか、まだ発明されていない)
タイトルなし
タイトルなし / monkist


 実は壇ノ浦のを流れる潮流のデカさと凄まじさを垣間見た義経は、
「う~~ん…もう一日、時間を稼いで潮の流れをじっくり観察したい・・・(゜σ゜)」
と思い、今回源氏側に与しているヂモッティで壇ノ浦の潮流に詳しい水夫に、潮の流れが一望できる場所に案内させて終日潮流の研究をしていたのです。


↓ 関門海峡の海流の激しさに驚いた義経は、決戦を延期して丸一日海流の研究をしていた。(画像はイメージ)。
MOV01120
MOV01120 / Mike B in Colorado


 決戦を日延べにして義経が海流を研究したその夜、櫛崎港内で源氏軍に参加している主だった諸将が集まって評定が開かれ、席上で義経は
検討の結果、我が方に有利なのは昼過ぎから夕刻にかけて東から西に流れる潮流だ! (・∀・)9<この潮流を利用するのがいい!」

と言います。

 しかし、この壇ノ浦界隈は平家の〝ホーム〟であり、自ら不利な状況にノコノコ出てくるとは思えない、という反論がジモッティ豪族から出されました。
=続く=

【このネタを初めから読む】

↓ 関門海峡の海流をネチっこく観察した結果、義経は平家の思惑とは真逆の海流を利用しようと決意した。
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V(-¥-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【14】

 そんなわけで、正攻法で正面から平家に挑むと腹を括った義経は、船が集まるまで、ぼ~~っと待っていたわけではありませんでした。

 義経は、時勢の流れは源氏に向いつつある事を見越してぞくぞくと集まってくるヂモッティ豪族のうち、伊予地方(今の愛媛県)で勢力を持っている来島(くるしま)氏の率いる水軍の連中に
「海戦のいろはを教えてちょ (゜σ゜)」
と頼みます。


↓ 義経たちの元には、平家から源氏支持へ乗り換えたヂモッティ豪族の水軍の船が集まり始めた(画像はイメージ)。
21 November 1937
21 November 1937 / Charlie Dave


 義経は京都生まれの京都育ち(しかも鞍馬山の山の中で元服近くまで育った)、その後は奥州の山ん中で成長したので〝海の潮流〟というものをほとんど知らなかったのでした。

 来島水軍の連中は、義経の頼みを快く引き受け、屋島近海を実際に義経とその郎党を乗船させて、船の操り方の基礎や〝潮流〟についての知識を教えます。


↓ 義経は京都生まれで、物心つく頃には画像のように鞍馬山でカラス天狗に剣術を習い(大嘘)、成長してからは奥州の内陸にある平泉で馬術をマスターしたという事は、これまでの「GENJI!!」で能書きを垂れた通りだが、船戦に関しては全く素人だった。
牛若丸 (源平絵巻物語 第1巻)

 予定戦場である壇ノ浦のような海峡が、来島水軍の地元にもあり(その名はまんま〝来島海峡〟)、義経たちはそこで初めて海峡を流れる〝潮〟の、想像を絶する凄さを目の当たりにしました。

 義経は船を操る老水夫
「ココと壇ノ浦、どっちの潮流が強いん? (◎-◎;)」
と尋ねましたが、
「壇ノ浦の方が、もっと凄いぞよ (∪_∪)b」
間髪をおかず、老水夫は断言します


↓ 経験豊かな老水夫は、来島海峡より関門海峡の潮流の方が数倍凄いと語った・・・(画像はイメージ…老水夫が和服を着ていないように見えるとか、当時まだないキセルが描かれているとか、髷を結っていないように見えるとかいうのは、全部気のせい…(-_-;)b)
Japanese Fisherman Watercolor
Japanese Fisherman Watercolor / inkynobaka


 〝船待ち〟によって時間的に余裕のある義経一行は、時刻によって高潮・落潮・低潮と変化する来島海峡の潮流を一通り体験しましたが、潮の盛りには大河の激流のように渦巻き、竿も立たない急流に
(こんな海の上で戦うのぉ? ('A`))
と義経をはじめ源氏武者たちは、呆然としました。
しかも本番の壇ノ浦は、ここ来島海峡以上の潮流なのです。


↓ 初めて〝潮流〟というモノを見た義経たちは、その流れの激しさに驚き呆然とした(画像はイメージ)。
Rough Sea Drake Passage
Rough Sea Drake Passage / Aah-Yeah


 さて、義経たちがこうして壇ノ浦攻略を考えているうちに〝源氏水軍〟はその船数を増やし、大小揃えて八百艘近くになりました。

 諜報活動によれば平家艦隊の船数は五百艘ほどだという事がわかっていましたので、数の上では遥かに平家を凌いでいますが、所詮寄せ集めの連合軍なので、追い詰められ一枚岩となっている平家相手には、この戦力差でちょうど五分五分…といったところでしょう。


↓ 史実に誇張が無ければ源氏に味方する為、義経の下に集結した戦舟は大小合わせて800隻にもなり、500隻といわれる平家の水軍を数の上では上回ったが、所詮は〝寄せ集め部隊〟であり、連携力の低さを割り引けば、この戦力差でやっと五分五分だと思われた。画像は赤旗を揚げる船団なので、最強の〝平家水軍〟。
平家物語 (物語の舞台を歩く)

 義経は決定的な平家攻略の戦法を思いつかないまま、この時点で集まった全軍に四国を離れ、平家との予定戦場である壇ノ浦へ進軍するよう指示を出しました。
 一方、壇ノ浦で義経を待ち受ける知盛には、物見から最新源氏情報がもたらされました。

「何ぃぃ? ( ̄□ ̄;)!!」
 知盛は物見からの報告を聞いて思わず叫びました。
 その報告とは、いよいよ源氏艦隊が壇ノ浦に接近しつつあり、その船団の数は八百艘を下らないだろうという、結構正確な情報だったのです。


↓ 源氏水軍が自軍を大幅に上回る戦舟を集めている事を知って、知盛はブッたまげた。
厚顔無恥なオリジナル画像47

 船数差300というのはマジ〝大差〟で、いくら平家が船戦が得意で、対する源氏が連携プレーが期待できない寄せ集め艦隊でも、この戦力差は知盛にとって勝利の確信をぐらるかせるのに十分な数でした。

 源氏側にここまで味方が増えてしまった原因は、一重にヘタレ大将・宗盛が屋島をあっさり放棄してしまった事でしょう。

 この敗北によって、根っから平家方に属していない(つまり血縁関係大きな利害関係のない)ヂモッティ豪族はドミノ倒しのように源氏に走り、結果的に平家は瀬戸内海の制海権を失うことになったわけです。
=続く=

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↓ 歴史を知っている方は、この後壇ノ浦で平家は滅ぼされるのはご承知だが、源平合戦における〝ホントのターニングポイント〟は、平家が屋島の本陣を無様な戦い方で失った瞬間だろうと思う。画像にある〝那須与一の扇落とし〟の様な、芝居掛かったマネは、当時の感性では許されるかもしれないが、わずか150騎程度の奇襲部隊に相手にビビって本陣を放棄した平宗盛は、平家敗戦のA級戦犯だといっていい。このヘタレぶりを見聞きした瀬戸内界隈のヂモッティ豪族は次々と平家を見限った。
図説 平家物語 (ふくろうの本/日本の歴史)

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V(-¥-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【13】

 源氏の船団は瀬戸内海を通って壇ノ浦に現れますから、平家にとって有利な〝潮〟は朝から昼過ぎまでの東向きの流れでしょう。

 この時間、平家の船は潮に乗れば、放っておいても敵に対して押し出すように進みますが、それに対して源氏の船は、まさに逆流に竿を差すように進まなければならず、操艦を疎かにすると船は逆戻りしてしまいます。


↓ 関門海峡を舞台にした源氏との海戦で、勝敗を左右する大きなファクターは〝潮流〟だった。川の様な強く激しい流れの向きが時刻によって変化するこの海域は、自軍にとって有利な潮の流れの時間に勝負をかける必要がある。
110508
110508 / yoco**


 平家は、こうした源氏にとって不利な戦場・状況を利用して速攻で勝負を決めてしまおう、というのが基本戦略です。
 そして、その戦略を完全にするために知盛が掲げたのは
「何よりもまずは、九郎を殺せ! d( ・`д・´)」

というものでした。

 これまでの源平合戦で大きな作戦においては源氏が勝利を収めてきましたが、戦力にそれほどの差があるわけではなく(むしろ兵力だけなら平家の方が多かったかも…)、すべての原因は
〝義経の存在 ( ̄^ ̄)v〟
だったといっても過言ではなく、事実義経がいない範頼が率いる鎌倉軍の方は、平家に好きに遊ばれています。

↓ 平家の作戦の重要ポイントは、〝最初に義経を殺れ! ヽ(`Д´)9〟だった。
厚顔無恥なオリジナル画像46

「とにかく、早い時期に九郎をあぼ~んしてしまえば、残った源氏の水軍なんぞ烏合の衆よ (  ̄ー ̄)フッ」
 そう熱弁をふるう知盛に触発され、屋島を失った事で沈滞ムードの漂っていた平家首脳部に、
〝もしかしたら、今度は勝てるかも…( ̄- ̄ )〟
という希望が出てきました。


↓ 知盛が立案した作戦に平家の諸将は希望を見出し、沈滞ムードを吹き飛ばし打倒源氏に盛り上がった。(画像はイメージ…ってか、市川雷蔵が演じているのは清盛だろう)
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 平家がそんな軍議を行っている頃、義経は四国に留まっています
 主な目的は軍船をより多く集めるためで、伊予水軍をはじめ、瀬戸内の水軍を持つヂモッティ豪族に使者を送り、参戦を呼びかけていました。

 この時点で奇襲を警戒した平家は早々と本陣を九州側へ移していましたが、義経は
「今回…奇襲は無理 (´、`∂)ポリポリ」
とハナから諦めていました。

 奇襲と言うのは、相手が予想していないからこそ成功するのであって、相手がはじめから奇襲に備えている場合は通用しません。


↓ 奇襲攻撃というのは、相手が予想していないからこそ成功する(画像はイメージ…って、ちょっと意味は違う気もするが・・・本質的にイタズラもリアル戦闘の奇襲も、無防備な相手に仕掛けるという意味では同じ…かな?)
Sneak Attack
Sneak Attack / cjmartin


 奇襲が効かない場合、当然正攻法で戦うしかないのですが、今度の合戦は戦場は海戦になるだろうと義経は予想します。

 平家軍の真骨頂はなんと言っても水軍で、いくら本陣を突いて陸戦をしたところで、決定的な打撃を与える事はできませんので、この戦いに終止符を打つ為には、平家の水軍を叩かなければならないわけです。。

 海戦経験がほぼゼロに等しい(…ってか、はっきり言って〝海戦処女〟)の源氏にとって戦いを有利に進めるには、船数で平家を上回ることが第一条件になります。
 そのために義経は瀬戸内海の水軍を持つヂモッティ豪族に声をかけて参戦を呼びかけていたわけでした。


↓ 義経も知盛同様、今度の決戦が源平合戦の最終決戦だと思っており、平家に止めを刺すには、平家が得意とする海上決戦で勝利する必要があった。ただ船戦の経験がない義経たちが、平家に正攻法で打ち勝つには〝数で勝負〟するしかなく、義経は瀬戸内で源氏に味方してくれる水軍を集め始めた(画像はイメージ)。
源平の争乱 (戦争の日本史6)

 ここまでの戦いを見ると〝速攻〟こそが義経の芸風のようにも見えますが、実際の義経は一旦行動を始めてしまえば電光石火の勢いで動くものの、決して〝動いてから考える〟タイプの武将ではありません。

 一の谷の戦いの時も、出陣命令が出た直後から郎党を集めて攻略方法を検討していますし、屋島奇襲も梶原おやぢとの諍いの末、ヤケクソになって渡航したようにも見えますが、平家に渡航を悟られない
〝暴風雨が、たまたまあの晩に吹いた (∪_∪)b〟
という理由のほうが大きく、義経にとってしてみれば、屋島の本陣を強襲することは討伐隊から外されて、京都でクサっていた時から構想を暖めていたようでした。


↓ 一の谷の合戦でも屋島の合戦でも、一見無謀ともいえる行動を起こし、見事奇襲に成功しているが、義経はこれらの作戦を決して思いつきの行き当たりバッタリで決行したわけではなく、確実に敵の本陣を急襲する為に熟考されたプランだった…まぁ、四国への渡航は暴風雨という〝偶然〟を利用したが…(画像はイメージ)。
週刊 絵で知る日本史 10号 一ノ谷合戦図屏風 屋島合戦図屏風

 こうして、熟考してから電光の様に行動を起こすというタイプの武将は後年の織田信長と同じかもしれません。
 そしてもう一点、義経と信長が似ている所
〝自分のパターンに囚われない (゜ω゜)9〟
という点でしょう。


↓ 単なる武勇の競い合いだった合戦に戦術というモノを持ち込んだ事や、ひとつの勝ちパターンに囚われない思考法など、軍事に関しては、織田信長と義経に共通点は多い。
信長 3 曙光の巻 (MFコミックス)

 人間だれでも〝自分の勝ちパターン〟というもので大成功を収めると、以後も同じパターンを繰り返そうとするものなんですが、義経や信長は状況を客観的に判断して〝勝ちパターン〟が通用しそうにないと思えば、戦法を変える事の出来る武将だったのです。
=続く=

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V(-¥-)V的日本史:GENJI!! Ⅳ【12】

 そんな精鋭揃いの知盛軍が展開中の関門海峡に、近付いてくる船団がありました。
 その数の多さに知盛軍は一瞬緊張しましたが、接近してきた船団は赤旗(平家の旗印)を掲げた友軍で、しかもよく見ると安徳天皇を乗せた御座船(ござぶね:貴人の乗る豪華な船)も混じっています。


↓ 下関で海峡封鎖を行っている知盛のところに御座船を含んだ平家の船団が接近してきた(画像はイメージ)。
御座船
御座船 / kakutani


 知盛は嫌な予感を感じつつ、御座船を含む大船団と合流しました。
 知盛は、ぶすったれた顔で下船してきた宗盛を捉まえて、
屋島の本陣はどうされました? (゜Д゜)」
と聞くと、宗盛はぶすったれた顔をさらに歪めて
九郎がキタ━('Д`)━!!!!」
とはき捨てるように言いました。

「工エェ(´д`)ェエ工?!
 屋島、落とされたんスかぁ?!」

 総大将の面目丸つぶれで口の重い宗盛をなだめ、すがめつして合戦の全容を聞いた知盛は暗澹たる心境になった事でしょう。

 確かに義経が、四国の山中から突如攻めて来た事は驚きでしたが、慌てて本陣を捨ててしまった失態は、今後の戦況に大きな打撃だといえます。


↓ 屋島の平家本陣陥落を知って、知盛はショックを受けた。平家が瀬戸内海の制海権を握っていたのは、瀬戸内のヂモッティ豪族が全て平家側を支持していただけで、相次いで大きな決戦で負け続けていれば、ヂモッティ豪族たちが源氏を支持し始めてしまう危険がある…というか、すでに源氏側につく連中は出始めていた。
厚顔無恥なオリジナル画像44

 一の谷が陥落した後でも、平家は瀬戸内海のほぼ全域の制海権を握っていましたが、屋島の本陣まで失ったとなれば、瀬戸内海のヂモッティ豪族たちは、
「平家もここまでか? (-,―∂)ポリポリ」
と平家を見限り、源氏方へ走る者が出はじめる可能性が高くなってきたのです(事実、前述のように四国の豪族・田内氏が源氏に寝返っている)。

 形勢を逆転する為、平家にとっても今度の戦いこそ〝絶対に負けられない戦い〟なので、その後開かれた軍議も熱の入ったモノとなり、その中心になったのは平家の誇る勇将・知盛でした。
 平家の基本戦略は、まず現在本陣を置いている本州の彦島を捨て、九州側の田ノ浦へ移します。


↓ 『Google Earth』による現代の本州と九州の海峡である関門海峡画像。平家は本州側の彦島から、九州側の田ノ浦と呼ばれていた場所に本拠地を移した。現代の田ノ浦は北九州市門司区の一地域になっている。
厚顔無恥なオリジナル画像45
画像参照-Google Earth-

〝義経は奇襲を好む d( ・`д・´)〟
という今までの源氏の攻撃傾向を考察し、そう簡単に奇襲を仕掛けられない九州側に本陣を移す事にしたわけでした。

 ちなみに鎌倉軍の〝本隊〟である源範頼軍は、この時点では一応九州にいますが
〝アウト・オブ・眼中 ┐('~` )┌〟
で、範頼軍は平家方に完璧に舐められている、といってもいいでしょう。

↓ すっかり平家に舐められている源氏の御曹司・源範頼だが、一応彼のコトを描いた本も出ている。範頼は軍事的な才能は並以下だったが為政者としては、それなりに有能で鎌倉幕府が正式に日本を支配した後は、幕府の要職に就き、それなりの業績を上げている(もっとも頼朝に謀反の疑いをかけられて殺されちゃったけど…)。
蒲桜爛漫―頼朝の弟・義経の兄・源範頼

 義経お得意の奇襲を封じ、義経軍は正面からの攻撃をせざるを得ない状況を作り上げると同時に、平家は〝お家芸〟ともいえる艦隊戦で源氏と戦えるわけです。

 艦隊戦…といっても、現在の感覚で思う〝艦隊戦〟とは全然イメージが違いまして、〝船に搭載出来る大砲〟そのものが、まだ発明されていないので飛び道具は弓矢の類であり、戦闘は矢の打ち合いと、船上を舞台にした肉弾戦というか、やっている事は陸戦とだいたい同じ斬り合いでした。
 ただ、艦隊戦独特の条件はいくつもあり、それが源氏にとってはかなり不利なモノになります。


↓ 当時の船戦(ふないくさ)というのは、船に大砲を搭載しているわけではないので、基本的に矢戦で牽制し、決戦は相手の船に乗り込んで肉弾戦をする〝船上でする陸戦〟のようなモノだったが、ホントの陸地と違って狭い上に不安定なので、船戦には船戦独特の戦い方がある(画像はイメージ)。
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228846_shogun-2--total-war.jpg / Racious


 まず、その第一として騎馬が使えないと言う事です…って、ちょっと考えてみれば当たり前のことなんですが、馬が(それなりに)自由に駆け巡れるようなデカさの船は、現代のタンカーくらいのモノであり、当時の船では馬なんて、輸送の際に立たせておくのが精一杯で、騎乗して戦うなんて論外です。

 また、不安定で、
〝狭い船上をいかに立ち回って戦うか (`・ω・´)〟
というノウハウは、艦隊戦が自慢の平家にとって源氏に勝る点でしょう。

 さらに予定戦場となる関門海峡の壇ノ浦は、日本国内どころか世界でも指折りの強潮流地域で、この海域は1日に4度も潮の流れが変わる上、まるで河のように潮が流れるという特徴があり、平家はこの潮流を戦術に取り入れようとしました。


↓ 関門海峡。現代は日本海と太平洋を結ぶ海上交通の要所だが、上に紹介したGoogle Earth画像でも判る通り、S字型に曲がりくねった地形のせいで、潮流は激しく複雑である。平家側はこの世界でも屈指の強力な潮流を利用して戦を有利に進めようと考えた。
110816
110816 / yoco**


 ただこの時代、
〝艦隊戦に夜戦はない (∪_∪)b〟
というのが世界的に常識でありまして(暗視装置レーダーなどが未発達なうちは、この常識は以後の戦史にも続き、この常識を打ち破って〝非常識な艦隊における夜襲〟を行ったのは、幕末の高杉晋作くらい…)、壇ノ浦の変化する潮流が戦闘に影響を及ぼすのは日中の2度だけです。


↓ レーダーなどの索敵システムが発達する近代まで、洋の東西を問わず艦隊戦といえば、世界的に真っ昼間に行われるのがセオリーだった。レーダーがない状況では、敵を探したり大砲で狙いをつけたりするのは全て肉眼でやっていたわけで、敵が十分に見えない夜間では敵を見落としたり、間違って味方を砲撃する危険がある為、ヤバ過ぎて〝艦隊戦で夜襲は出来ん ┐('~`;)┌〟という習慣になったらしい(画像はイメージ)。
1003134
1003134 / El Bibliomata


 今回の合戦の行われると思われる場所の潮流は、朝(午前8時過ぎ頃)に西から東へと流れ始めて段々その勢いを増していき、正午前に最も激しくなります。

 その後流れは次第に弱まって、昼過ぎ(午後2時から3時)には一旦海上は凪ぎ、今度はゆっくり東から西へと流れる向きを変えて、再び勢いを増していくのです。
=続く=

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